been dazed and confused for so long 

ファッショニスタの悩み


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Otsuki right before the attack



ファッショニスタの私の悩みは尽きない。
着るものと、食べるもの、飲むもの、行く場所、聴く音楽、
見る映画、つき合う人々、住む場所、
全てがファッショナブルでなければならない。
親も親戚もオシャレでなければならない。
きっとお金持ちのファッショニスタは
オシャレなスーパーに行って食材を買い、
病気をすればオシャレな病院に行く。

更にアップグレードすれば、SATCのキャリーたちみたく、
オシャレでリッチな独立した女性はスーパーなんて所帯じみた
場所には行かないのだ。

だけど私はそれが出来ない。
着るものはどうにかなるとして、
食べるものや行く場所や聴く音楽がファッション的ではない。
映画も、ファッショニスタが作った映画にはいつも懐疑的。
スーパーだってなるべく安いところに通うし、
病院になんか行くことになったらオシャレとかオシャレじゃない
という基準自体が消える。
親戚の集まりや、同窓会でのファッショニスタの一番の悩みは、
自分のオシャレ過ぎるファッションを周りに理解されずに浮き気味に
なることだ。

だから生きて行く上で、オシャレをやり通すのは難しい。
一瞬一瞬をオシャレで彩ることはできない。
(SATCはファンタジー映画だと思ってるが)
もうすぐやらなきゃいけない確定申告とか、
最高にオシャレじゃない行為をしなきゃいけない。





私は吐き気がするほどファッショニスタ。(イケてるって意味ではない)
何をするにもファッション的な視点で考えてしまう。
誰もこのことは理解してくれないだろう。
だから日常で非ファッション的な局面に置かれる度に
ギャップに戸惑うし、苦しい思いをする。
オシャレなキッドたちは一体、どこで生まれどこに住み、
何をして遊ぶの?




ファッションが好きな理由も分からない。
綺麗なものが見たいだけなら美術鑑賞だけでも済むのに。
好きな気持ちをどう落とし込んだらいいか分からない。
ピコ太郎が会見で
「自分はファッションが大好きで、行われる全てのファッションショーを
チェックしている。その全てを混ぜ合わせた結果こうなった」
と言っていてめっちゃ共感した。難しいよね、落とし込み。

「見栄」はファッションに必要不可欠な要素だ。
ファッションが大好きな私は見栄を張るのが大好きなのか。
いやでももっと、自分にも他人にも優しいファッションがあるよね。

こんなことを、もう何年も前から何度もブログに書いてきた。
きっと一生をかけたプロブレムだ。
これに向き合い、研究するために生まれてきた人生だ。
ファッションは、等身大の自分と理想とのギャップに悩むことが原点でもある。
だから私のこの葛藤は、このフラストレーションは正にファッションだ。



いろんな生き方、その方法


最近めっきり記事更新しなくなってしまった。
楽しみにしてくれている人(がいるなら)ごめんなさい。
コメントやメールがとても嬉しいよ。



唐突だが、私は今子どもが欲しい。
とりあえず、まず一人欲しい。

とはいえ結婚もしてないし、できる相手もいない。
というか結婚には全く興味が湧かない。
子どもを作ってくれる相手もいない。
仮にどうにか作ったとしても、私一人の財産では厳しい。

そこで思ったのが、子どもが欲しい友達を集めてみんなで育てる方法。
現代のちょー貧しい若者だって2-3人集まれば子ども一人くらい
育てられるだろう。子育て・家事・仕事も分担できるから楽だし。
何より子ども自身が、「この親とは合わない」と思っても
他に2人、3人と選択肢があれば、頼れる人もいるだろう。
「友達同士で育てるなんて責任感が持てない」
「友達同士なんて、いつ関係性が変わるか分からない」とか、
批判もされるだろうけど、それは普通の親でも同じだと思う。
「愛し合う男女から生まれる子どもだけが幸せ」
という幻想を私はもう長い間信じていない。
それが本当なら、ゲイは、レズビアンは、Aセク、ノンセクは、
子どもを欲しがってはいけないことになる。

お金がない、相手がいない、セクシャルマイノリティ、
これらが理由で欲しい子どもを諦めるのはもったいない。
こんなに少子化なんだから。





そんなことを考えていた折り観た映画「ハッシュ!」が正にそんな感じだった。
橋口亮輔監督、田辺誠一、高橋和也、片岡礼子主演。

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ペットショップで働く直也。気ままなゲイライフを送りながらも
充足感を得られずにいる。土木研究所で働く勝裕。ゲイであることを隠し、
自分の気持ちをストレートにうち明けられない優柔不断さにうんざりしている。
歯科技工士の朝子。傷つくことを怖れ、人生を諦めたような生活を送っていた。
やがて、付き合い始めた直也と勝裕。平穏な時が流れようとしていたある日、
二人は朝子との偶然の出会いから、その関係が揺らぎ始める。
朝子は勝裕がゲイであることを承知の上で、
「結婚も、お付き合いもいらない、ただ子どもが欲しい」とうち明ける。
allcinema ONLINE





父権的な意識が根強い人々にとったら、ゲイって時点でアウトだろうに、
そこからイカれた女が精子だけ貰って子ども作るって、
こんなに頭のぶっ飛ぶ話はないだろう。
でもこれって、今だったら全然アリだと思うの。
「普通じゃない家族」が認められつつある過程にあると思う。
もちろんまだまだ世間体は厳しいしバッシングもあるだろうけど。
それを16年前、2001年に描いた橋口監督や演じきった役者たちはすごい。

物語のトーンは思ったよりもシリアスだけど、
コメディ要素も沢山あり、気持ちが落ち着いていくのが分かる。
主演の3人がとにかく魅力的で、田辺誠一は安定の優柔不断&気弱感。
高橋和也はこないだ観た「そこのみにて光輝く」に出ていて、
結構ゲスな役で最高だったね。「ハッシュ!」では丁度いい可愛さ
と丁度いいいい加減なゲイ感が好感を持てる。
片岡礼子の男勝りなサバサバ感は、すごく自然で良かった。

橋口監督は、去年の「恋人たち」と「ぐるりのこと」しか
観ていないけど、どちらも生涯ベスト級。早く他も観たい。

家族とか、恋人とか、友達とか、その関係のあるべき姿になれなくて、
型にはまれなくて悩んでいる人に観てほしい。
こういう生き方もあるという希望、そしてあの3人みたいに、
人生にはこんな風に唐突で、楽しい出会いがあるんだという希望がある。





今日はいろいろとあって、街中ではしゃいでる子どもたちを見るだけで
涙が出てきた。あの子達がいつまでも幸せに生きてくれることを願う。
今こころから、子どもが欲しい。


セッション


Filmarksで観た映画を投稿するとともに、
いつも (何様かと自問しつつ) 点数を付けているんだけど、
極たまにどうしても点が付けられない映画がある。
面白いとかつまらないとか、良いとか悪いとか
好きとか嫌いを超越した映画。

ダウンロード




※ネタバレします



『セッション』は完全に分からない映画だった。
新しい映画のような気がした、けど自分が古い人間というだけかも。
もちろん色んなレビューも解説も、町山vs菊池の論争も読んだ。
だけどやっぱり決着がつかん。
どう感じたらいいのか分からない。
だけどめちゃくちゃ面白かった、放心状態になるほど。


この映画を新しく、そして難しい映画だと思うのは、
従来ならこういう鬼教師は、実はしっかり生徒のことを思っていて、
作戦として厳しくしごき、最後には一流になれるほどに成長させている、
生徒も後でそれに感謝する。といったカタルシスが用意されているもの。
もしくはこの教師を悪として描くなら、最後に鬼教師を貶めるといった
カタルシスが用意されている。
セッションはそのどちらでもない。
色んな人の解説やレビューを読んで辿り着いたことだけど、
「音楽」というものが、そのグルーヴが、情熱が、
善悪を超えたカタルシスになっている。




でもでもー!これでもなんかスッキリしないのはやっぱり私が
古い人間だからなのかって思って落ち込むし、
さらに見終わった直後の感想が「鬼教師許すまじ」だったこととか
ダサいしやんなるー!!

JKシモンズ怖すぎなんだよな。。。
レシストかつセクシスト、暴力、殺人(未遂)、スタバdis、
これは鬼教師とかいう生温い言葉で片付けられるものじゃない。
JKシモンズいつも良い奴役だからそのギャップを狙ったとしか思えん。
これだけモラハラパワハラ、ポリコレ云々言われている中で
こんな凄惨な映像見せられると縮こまっちゃう。
それに対抗する主人公もどうかと思うよ。
( アンドリュー役の俳優、マイルズ・テラー。
ジェニファーローレンスの男版みたいで、
さらに顔をぐしゃっとしたような。こういう顔好きだ。)


だけどだけど普通に考えてみれば当たり前の話ですよねこれ。
鬼教師や鬼上司が、本当は生徒・部下のことを思ってくれているはず、
愛のムチ、なんてこれほど甘い考えは無い。甘ったるすぎて死にそうだ。
そんな教師や上司はほとんど存在せず、腹いせだったり、
自分の弱さや嫉妬から弱者(生徒や部下)を虐めているにすぎない。
フレッチャーだってそうで、自分の完璧主義やコンプレックスから
生徒たちにしていることはほとんど殺人と言って良い。
(椅子投げるあたりは殺人未遂として成立するっしょ)
そしてそういう人格を持つ"指導者"は沢山いる。



音楽に対する溢れんばかりの愛→狂気という構図はクリシェだけど、
それが私が「観たいと思う」映画なのだろう。
セッションでは誰一人、心底音楽を愛しているように思えない。
成功の道具や、虐待の道具、またその虐待に歯向かうための道具にしか
していない。名のある音楽家たちがこぞってこの映画を批判するのも納得。
私も素直にこの映画に"馴染め"なかった。
だけどラストシーンはそれこそ損得を越えた純粋な音楽の表現によって、
それまでの二人の関係なんてどうでもよくなるほど、
音楽の神が降りてくる様を見せている。
だからやっぱり、あのラストのラスト、数分間は、
音楽の崇高さとスピリチュアルを全力で見せつけられている気がして
とても惹き付けられた。

TGIF


私立の中高一貫の学校に通っていた私は、毎朝、
都内で常にワースト5位に入る満員電車に乗って通学していた。
中学1年の、それこそ電車通学を始めて間もない頃に、初めて痴漢に遭った。
そのときは息が出来ないくらい怖かったけど、
2, 3回目からはもう慣れちゃって、加害者に対して立ち向かうのも
面倒くさい、その方が恥ずかしい、という感じでやり過ごしていた。
実際ほとんどの加害者はこっちが何らかの嫌な反応を示せばすぐに止めるし。
あの人たちは逮捕されるのが一番怖いですから。

1週間に1回は痴漢に遭っていたので、もうその対処はプロフェッショナルに
なっていて、手で振り払う、頭突きで威嚇、などなど様々な技を身につけた。
色んなタイプの加害者がいて、逆ギレしてくるような人もいたので、
心理的に何も感じないようにする技は、高校になる頃にはかなりのレベルになった。
人生最後に制服を着た卒業式の日の帰りの電車でも遭ったときは、
もはや笑ってしまった。この人たちは本当に制服が好きなんだな、と。

別に傷ついてもいないから、当たり前のように友達とネタにしたり、
今でも笑い話にしたりできます。




でもさー、今思うと間違っていたなと。


まず、調べたところによると、痴漢された際の示談金 or 慰謝料が
少なく見積もっても10万円だそう。
私は平均して1週間に1回被害にあってたから、1ヶ月4回。
年間通じて学校に行くのが
4月、5月、6月、9月、10月、11月、12月、2月だけだとして計8ヶ月。
8ヶ月 × 4回で32、一年で32回被害にあった。
それが6年間続いたから32 × 6で192回。
その全てを警察に突き出して示談金でも何でも貰ってれば
6年間で19,200,000円を稼げてたわけです。約2千万。

普通に2千万欲しいし、加害者たちがぬくぬくと自分の欲望を
満たしながら本来は私のものとなるそれぞれの10万円を何か
自分の生活や趣味に費やしていたと思うと悔しい。
そもそも2千万分の犯罪被害受けてきたのに私何やってたんだ...。

がめついように聞こえるかもしれないけど
(ま、本当にお金は欲しいですから)、
被害にあう度にいちいち声をあげてれば、
微力ながら、他の被害者を出さずに済んだかもしれない。
私のように慣れきっている人もいただろうけど、
幼かった私のように恐怖に震える子を救えたかもしれないのに。
自分のことしか考えていなかった。

6年間何やっていたんだろう。
2千万あれば何でも好きなこと出来ただろう。
被害にあっていた他の人たちの救済や希望にもなっただろう。

でも本当は、こんなことを私に考えさせる加害者と、
それを本気で駆逐しようとしない社会のほうがおかしいでしょ。
(私もそんな社会に加担してしまったのだが)
私が頭を悩ませ、あの頃の自分を恥じるのも変な構造でしょ。
あの加害者たちは皆、しっかりスーツを着て会社に行く途中だった。
痴漢自体がトラウマになって今でも性的なことが苦手とか
そういうことは幸いないけど、「しっかりスーツを着た男性」
の全てが実は狡猾な犯罪者なんだろう、という偏見が
いまだに消えません。
当然これは犯罪者でないほとんどの男性に対しても失礼だし、
そういう男性を蔑んでしまうのは、私だって嫌です。

だからこそ、そこは"加害者" や "加害したいと思ってしまう予備軍"
の人々の意識を変えていって欲しい。
もちろん中にはそんな意識改革なんかで欲望が抑えきれないような
加害者もいるので、そういう人に対してはちゃんと警察なり
医療なりで対処していってほしい。

被害者に勇気を出すことを促さないでほしい。
被害者に努力をさせないでほしい。





やーほんとに、満員電車ってだけでも地獄だったのに
その上痴漢にあって、しょうもない学校行って、
なんで他の方向へシフトチェンジしなかったんだろうかと後悔。
電車乗らないで通える学校に、高校からでも編入すれば
良かったのに、そんな選択肢すら無かった。
親の事情以外の"転校" って、基本良いイメージないからねー。
問題児とか、スキャンダラスなイメージにさらされるし。

大人になれば転職って当たり前だし、なんなら大学でも
気に入らなくて他の大学入り直すとか、学部変えるとかあるのに、
小中高だけはその子の意志で転校するのがメジャーじゃないんだよな。
そこをメジャー化しないといつまでも学校という檻の中で苦しむ子が
増えるだけだ。

話がとびましたが、2016年も終わりかけ、
4年後には五輪が控えている(んだかどうなんだか)東京で、
いまだに痴漢がどうこうで騒がなきゃいけないこの原始感。
やっぱりおかしいですよ。



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うっせー




お引越し


おめでとうございます。


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11歳くらいのときって、心は完全に子どもなんだけど、
身体が少しずつ大人になり始めて、それについていけなくて焦ったりする。
私は「もう自分は大人なんだ」って諦めがつくのが
15歳を過ぎてからだったような気がする。
恥ずかしながら、それまでは生えてくる陰毛が嫌で嫌で、
意地になって剃っていた。15歳くらいになって剃るのをやめた。
今でもあの産毛のような陰毛を初めて発見したときのショックは忘れない。


1993年の相米慎二監督『お引越し』という映画見て、
あの頃の気持ちが、とてもみずみずしく、リアルに思い出された。

小学六年生の漆場レンコは、ある日両親が離婚を前提しての別居に入り
父ケンイチが家を出たため、母ナズナとともに二人暮らしとなった。
最初のうちこそ離婚が実感としてピンとこなかったレンコだったが、
新生活を始めようと契約書を作るナズナや、ケンイチとの間に挟まれ
心がざわついてくる。揺れ動く11歳の少女の気持ちの葛藤と成長を、
周囲の人々との交流を通して描くドラマ。
(wikipedia)







特に主人公が着ている服、持っているぬいぐるみや雑貨が
自分の子どもの頃のものと似ていて、あの頃がよく思い出された。
この映画、最初は主人公とその周りの日常を描いているんだけど、
終盤からどんどん心象風景を反映した描写になってきて、
とってもアヴァンギャルドです。

やべーーこれ絶対哲学のやつじゃんって思ったね。
フロイト?多分フロイト。
両親の別居(ほぼ離婚)という事実は子どもにとって、
それまで当たり前だったもの、自分の手中に収まっていると思っていたものが
実は最初から自分のものではなかったことを思い知らされることだ。
親は自分のためにあり、親の婚姻関係も自分のために未来永劫続くだろうと
思っていたのは大きな勘違いだった。
親はそんな崇高な存在ではなく、別居もすれば離婚もする。
新しい恋人が出来れば子どもを捨てるかもしれない。
子どもはそれを理解しなくてはいけない。



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http://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00008M8BW



この映画で描かれる祭りのシーンがアヴァンギャルドだと言ったけど、
実際の思春期の成長の過程のほうがよっぽどアヴァンギャルドだ。
毎日変化の連続で、心も身体も正気ではいられない。

そのアヴァンギャルドな祭りが終わった後
少女は大人になっている。
お引越すことは大人になることだった。
そして、大人とは何もすごくないんだということを知る。

私は、セックスという行為がどんな雰囲気で行われるかを、
映像だか漫画だかで初めて知ったとき、大人の本性を知ったと思った。
普段あれだけ規律に従い、感情的にならない"立派な"大人達が、
あんな風に我を忘れ恍惚に浸るのが信じられなかった。

そんななか、勉強したり恋したり、好きなことや苦手なこと見つけたり、
人格が形成されていくけど、待ち受ける"大人"は自分が想像していたより
遥かに未熟。それでも生きて、次の世代へと引き継いでいかなければならない。
いつも、未熟なままでは人の親になんてなれないと思っていたけど、
今、私も子どもが欲しいと思いました。


 
 
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