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障害/コミュニケーション


アダムとイブ



たった今、NHKの「爆笑学問」見終わった。爆笑問題の二人が
色んな分野の学者のもとへ行って、話を聞いたり討論したりする番組。

特に今回は感銘を受けた。と思った人が沢山いると思う。
ヘレン・ケラーと同じ、全盲聾の東大教授と爆笑問題がお話をして、
語り合ってた。指点字(?)っていう方法で、指をキーボードの
タイピングみたいにして通訳の人が伝える。しゃべりは本人がする。
すごい、としか言えない。。。目も見えず、耳も聞こえずにあんな
スムーズに人とコミュニケーションを取る。



でも、体の触れ合いだけでのコミュニケーションと、言葉を使っての
コミュニケーション、どっちが重要なんだろう。常々、感情や意見を
言葉にすることによって生じる矛盾や、言葉にするから失われる感性
があるって感じてた。例えばよくある話で、異性を「好く」っていう
感情がある。だけど、「好き」みたいな言葉の種類ってせいぜい限られ
てる。「愛してる」とか「触れたい」とか「愛おしい」とか。でも異性
を好きになるときの感情なんて、簡単に言葉にできない。色(絵の具)
に例えると、言葉は赤とか青とか黄色とかの、
原色だと思う。でも「好き」みたいな感情は、
原色の絵の具を何種類も混ぜ合わせた名前のつけられない色になると思う。


だから「好き」みたいな感情を言葉にまとめて「好き」って言っちゃうと、
その瞬間、一気に多くの感情や感性が失われてく。これは言葉を使う人間
の、大きな障害だと思う。こうなると、もうどっちが障害だか分かんないね。
言葉が無ければ、その微妙な感情や感性が伝わるかもしれない。だから
コミュニケーションを取るのに障害のある人の方が、かえって感情を伝え
やすいかもしれない。



障害によって、孤独や絶望を感じた。って、その全盲聾の東大教授は言ってた。
でも本当の孤独や絶望は、全盲聾である状態よりも、それによって集団から
取り残されることだと。そうすると、責任はその集団にある。その健常者の
集団は、全盲聾の障害者を可哀想だと思ってるはず。でも、どっちが可哀想
なんだか分からない。

「障害」なんて概念はおかしいのかもしれない。全盲だって聾唖だって、
それによって幸せなことだってある。目が見えるから、耳が聞こえるから
こそ不幸なこともある。「障害者」と呼ばれる人々も「健常者」と呼ばれる
人々も、平等に幸せの機会があると信じたい。


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Coco Iijima

Author:Coco Iijima
ヒップホップ・アクティヴィスト
1990年 東京生まれ

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