been dazed and confused for so long 

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セーヌ左岸の恋


エルスケンの写真集「セーヌ左岸の恋」を買った。
死ぬかと思った。

1.jpg


エルスケンは1925年に生まれ1990年に死んだ、
オランダ出身の写真家。世界一有名。
スナップの第一人者とも言われている。

そのエルスケンが最初に出した写真集が
「セーヌ左岸の恋」。
英語では「LOVE ON THE LEFT BANK」
これも世界一くらい有名な写真集。

当時のパリのアンダーグラウンド的な部分を切り取った、
若者たちのドキュメンタリー的写真集。
(すべてフィクションらしいけど)





私は今、色んな写真集を扱う仕事をしているもんで、
「セーヌ左岸の恋」なんて何回触ったか分からない。
中もパラパラめくって見たこともあったし
「イケてんじゃーん」くらいに思ってはいた。

けどこないだ初めて買おうと思ったんだ。
あまりに有名だから今まで気にも留めなかったけど、
こういう大御所のオーソドックスな写真集も
家にあるといいなあと思ったの。

帰って読み始めて(この写真集は文章も多い)
衝撃を受けてしまった。恥ずかしながら。




この映画感、物語性、構図、全てがすごいと思った。
全ての写真の流れもそうだし、一枚だけでも物語みたい。



「映画のように素敵」っていうと写真が映画より
劣ってるみたいな言い方になってしまって嫌だなあ。
なんて言えばいいのかな。
映画に似た素晴らしさを持った写真?

何十年も前から同じことを何人もの人たちが感じているのよね。
この写真集ってアラーキーや篠山紀信や細江英公にも
大きな影響を与えたと言われているし。
みんなの出発点になったのよね。


私は、先述のとおり色んな写真集を扱う仕事をしているので、
自慢じゃないけど、ありとあらゆる写真集を見てきて、
造詣もある。だから数多くの良い写真集を知っているし、
たくさん衝撃を受けてきた。
その私が言うんだから多分間違いないよ、
エルスケンの「セーヌ左岸の恋」はすごい。







これはなんつっても、冒頭にやられたね。
どこまでネタバレしていいのか分からないけど、
最初のページで写真一枚と短い文章が添えられている。

2.jpg


そんで次のページでこれ。


3.jpg



それはもう映画のオープニングのようで、
ここから全てが始まるんだって思う。
こんなに美しいパリの写真は見たことがない。
大きくタイトルがついてグイグイ引き込まれる。



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5.jpg

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7.jpg






この写真が撮られた当時のカメラはもちろん
今のカメラとは全然状況が違う。
今のデジカメやスマホのカメラは性能もいいし、
綺麗に撮れるし、何より写るのが当たり前だけど、
当時のカメラ(もちろんフィルムカメラ)は、
まず写るかどうかが最初の問題で、
綺麗に撮れるかどうかより、
まず写らせることが大変だったらしい。
(だから写ルンですなんていう名前がついたカメラが
人気を博した。)

その中で、こんな構図で、人の細かい表情をキャッチして、
ストーリー性を持たせるって、これは一筋縄ではない。
もちろんロバート・フランクやアンリ・カルティエ・ブレッソンや、
リー・フリードランダーなどなど、往年の写真家たちは
みんなこれをクリアしているのだけど。
いやはや頭が上がりません。

エルスケンや、そういう偉大な写真家が上の世代で良かった。
新しい世代に生まれることの良さは、古い世代のバイオグラフィを
堪能できること。私より若いアーティストは、私が先に死んだら
その全てを知ることができないだろうから。




「セーヌ左岸の恋」はamazon中古で、安いもので3,000円くらい。
色んなエディションがあるし、日本語版もあるから
気になったらぜひ。きっと一生大切にしようと思えるよ。



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美しい人/9 lives


nine-lives-poster-2.jpg




ロドリゴ・ガルシア監督の「美しい人」という映画はとても良い。
製作総指揮はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
(相変わらずめんどくさい名前)で、6,7年前に話題になった
「バベル」の監督の人。
ガルシア監督は、あのガルシア・マルケスの息子らしい。
(マルケスじゃないんだってツッコミたいよね)

「美しい人」の原題は「9 lives」で、
言葉通り、9人の女性の人生について描かれる。
オムニバス形式だけれど、どこかでつながっていたりする。




ロドリゴ・ガルシアは、私は天才だと思う。
監督のセクシャリティは知らないし関係ないけど、
女性というものをここまで分かっているというのは
怖いくらいに凄い。

彼女を見ればわかること」ていう映画もガルシア監督で、
それはもう、信じられないような映画だった。
派手さは無く、淡々とした映像だけど、心の中は嵐だった。





「美しい人」はオムニバス形式。
そのなかで特にぐっときた話について。
(ここから完全にネタバレで書くので、
未見の人はご注意を。)




1. 刑務所に服役するサンドラ

メキシコ系移民であろうサンドラは、
模範囚を目指すため、自分を押し殺して、
日々所内の仕事に励む。
淡々とした人だけど、たまにある愛する娘との
面会では、どうしても興奮して取り乱す。
その日の面会では電話が故障していて声が届かない。
ガラス越しに娘に向かって泣き叫ぶ。
看守たちに取り押さえられ、一度冷静になるものの、
再び暴れて連行されてしまう。そこで終わる。

一話目から壮絶な母性見せられて、
これは先が(良い意味で)思いやられると思ったわけです。
この人の演技が本当に上手くて、、感服



2. 昔の恋人と再会するダイアナ

過去にめっちゃ、めっちゃ色々あった
ダイアナとダミアンのスーパーでの偶然の再会で
別れてから築き上げてきたものが崩れそうになる。
もういい年だし、守るべきものも沢山あるから、
取り繕い、あきらめる。
けれど最後のダイアナのどうしようもない焦った泣き顔と、
立ち尽くす姿は、、、もう、、辛いね。

これは少し教訓というか、勉強になったところがある。
ダイアナとダミアンはもう40あたりで、
お互い結婚してるしダイアナは妊娠してるし、
多分キャリアもある。ここで全てを捨てて昔の恋人と
よりを戻すことはなかなか難しい。

私も最近色々あって、結構本当に色々あって、
大きな決断を迫られたり、
いろんなもの失ったりした。
これ以上辛い思いをするのは嫌だし、
これ以上失ったら何もかも無くなってしまう。
けど、「全てを失った」というには、
24歳の私はまだ若いことに気がついた。

結婚もしていないし、子供もいない。
恋人すらいない。キャリアだってたかが知れている。
だから、まだギリギリ無茶できる年齢なのかもしれない。
と思ってしまった。
ああ、どうしようかなあ。
一歩踏み出してしまおうか、迷う。



7.不倫に走るルース

ルースは5話のサマンサの母親。
夫婦仲はそこで描かれるようにイマイチ。
ときめきなんてもうきっと何十年も感じていない。
そしてある男と不倫しかける。
迷いがありつつもホテルの部屋に入るけど、
他の部屋の誰か(1話のサンドラ)が逮捕されているのを
偶然見て娘に電話して思いとどまる。

この話は不倫相手役の俳優が上手いと思った。
その男の分かってなさ、、もう何も分かってないのねこいつ。
いや本当分かってない。その分かってない男の演技がちょう上手い。
なんて分かってるんだこの俳優は、、



8.手術前のカミール

これはベタだと思ったけどボロボロ泣いてしまった。
ああーいいなあ、こういうのに一番憧れるのよ。

カミールは乳がんで、今まさに手術を受ける直前で、
かなりナーバスになっている。
付き添う夫をわけもなくなじって、
病院や看護士の愚痴をぶつける。

そんなカミールに対して、夫は慰めるでもなく
怒るでもなく、ただただぼーっと聞いている。
本当によくいるぼけーっとしたお父さん。
イライラした妻とぼけーっとした夫って、
よくある構図だよね、日本でも。

そんで鎮静剤(麻酔?)を打って少しずつ落ち着いて、
やがて意識を失った後、夫がキスをして、
「僕たちは永遠に一緒だよ」って言うの。

普段きっとろくな愛情表現もせず、
ただ家にいるだけの夫だけど、
実はこんなに妻を愛しているということが分かる。



9.最終話 マギー

初老のマギーは娘とお墓参りに来る。
無邪気に娘とじゃれ合って、
お天気が良くて、マギーは綺麗、娘はカワイイ。

だけどやけに年の離れた親子だなあと思っていたけど、
娘は本当は亡くなっているのね。小さい時に。
その娘のお墓参りに来ている。
娘と一緒にいるのはマギーの空想の世界。
楽しそうにしていたマギーが急に泣き出すシーンが辛い。

娘が亡くなって何十年も経って、
マギーは元気を出して気丈に生きているけど、
それでも今でも深い悲しみがある。

なんとも、最終話にふさわしい美しい話。

最後、マギーがひとり、お墓から歩いて去るシーンで終わるのだけど、
映像が消えた後にも足音が続けてきこえる。
これはすごく希望に満ちた暗示に思える。
何が起こっても人生は続く。生きていかなきゃならない。
という暗示に思える。







nine-lives-20060126054021843-000.jpg



ある程度の年数を生きていれば、性別や人種に関わらず、
色々なことがありますよね。
良いことも悪いことも、良いとか悪いとか断定できないことも。
いくつになっても生きることって難しくて、
何をしても器用にこなせない。
けど、それでもいいやって思う、この映画見ると。
この映画に出てくる人たちは、誰一人器用でなく、
未熟で、弱いけど、そこが人間らしくて素敵だよ。
人が生きていくなかで抱え込んでいく、
悲しみや傷は、その人をセクシーに見せると思うなあ。
人が持つ色気の正体は、
その人のマイナス面から出てくるものだよきっと。
過去の悲しみも傷も愛そうと思えるよ。








Untitled


他人からの評価でしか自信を持てないことに気がついた。

大きいことでも小さいことでも。

例えばこのブログ、評価されなかった記事は、
自分では気に入っていても、なんとなく不発な感じがしちゃう。
幸い、評価して、認めてくれる人がいたから続けてこられたけど、
いなかったらすぐに終わっていただろな。
終わってはいなくても、誰にも教えることなく、
コソコソとやっていただろう。


例えば身近なことだと、服を選ぶときもそう。
自分が良いと思った服でも、イケてないブランドの服だと
霞んで見えてしまう。
逆もそう、好きでなくても有名ブランドの服だと分かると、
途端に素敵に見える。
他の誰かの早い段階での一定の評価がないと自分では判断できないのね。

もっとエグいことだと、人間関係もそうね。
自分では話し易いし好きだなあと思う人でも
まわりから嫌われてる人だと距離を置きたくなる感じ。
自分も嫌われるんじゃないかとか思っちゃって怖い。
情けない。




何に対しても言えること。
私は何でも、他人の保証があるものしか選べない。
打算的で、ずるい。

なんてかっこ悪いんだ。
本当に好きなら他人がどう言おうと好きでいればいいのに。
そういう態度は好きなものに対してとても失礼だし。

評価されなくても、自分が自信を持って、
強気でいられたらいいのに。
だって自分すら評価してくれなかったら
本当にそこで終わっちゃうよ。

もっと自分を信じたいのに。
他人の目を気にしてばかり。
最後に救ってくれるのは自分自身なのに。





私の友達には、他人の評価を気にせず強く生きている人がたくさんいる。
例えば絵を描いて酷評されても、めげない。
誰にも気付いてもらえなくても、絵に対して一生懸命で、
毎日毎日続けてる。絵を描くのが大好きだから。
そういう人は素敵だ。私がその人の作品を好きでなくても、
その人は好きだ。





私は弱い。ずるい。
誰かにけなされるのが怖い。

こんな生き方を24年間も続けてしまった。
や、小さい頃はそうでもなかったかな、
大人になるにつれて、ずるく打算的になってしまった。






ああ。ああああ。
なんてことだ。

これは、なんとしても、絶対に変えていかなくては。



今まで本当は好きだったものたち、人たち、ごめんなさい。
評価されなかった本当は好きだった私の作品や文章や感覚、
やっぱりイケてるよ。
自分に正直にならなくては。


なんか久しぶりに自分を変えていかなくてはと思った。
これはちょっとマズい事態ですわ。

音楽が好きな人すべて


みんな知ってると思うけど、
私は世界で一番音楽が好きなわけです。

私の感受性は音楽と調和する。
私と音楽が作るハーモニーは他の誰も知らない。
誰も私みたいに音楽を聴く人はいない。
これはもう確定された事実なのです。




音楽にはいろんなジャンルがあるし、
ある程度知っていた方が良いのだろうけど、
詳しく分からない。
でもジャンルにこだわらず、感覚にマッチするものを
選んで聴いてきて今に至って、
それでそういう友達(DJや普通に音楽が大好きな人々)
にも沢山出会えて、そこでまた良い経験ができて、
幸せなのです。





この気持ちは誰も分からないだろう。
言わば、私と音楽だけの秘密の関係。
と言いたいところだけど、
本当は誰もが感じる魂を持っているよね。
私は音楽が大好きで、
音楽も私が大好き。
その両者の思いが通じて、
なんというかグルーヴやエクスタシーを感じる時、
生を受けたことに感謝する。




私が現在好きな音楽のジャンルは
ハウス、ディスコ、ソウル、ファンク、R&Bあたりらしいけど、
元々は白人のロックンロールから入ったし、
(10代の頃は「一生ロックしか聴かねえ」ってよく言ってた。)
もちろん今でも大好き。

私は、自分が聴かない音楽、好きでない音楽、
ダサいと思う音楽でも、
それを本気で好きで、私みたいに痺れるように感じている人は、
それはそれで、そういう人が好きだ。
(私はそのトップをいっているけど)
気持ちを共有している。


だから、踊るもよし、頭を振り回すもよし、
泣くもよし、笑うもよし、叫ぶもよし、失神するもよし、
音楽が好きなすべての人に敬意を払いたい。

クラブやライブやフェスは、
そこにファッション性さえ無ければ、
本当に音楽を愛している人々と
気持ちと良い時間・空間を共有できるから素晴らしい。
一体となることはとても難しいけれど。






先ほど使った「ハーモニー」という言葉、
音の流れや和音みたいな意味でよく用いられるけど、
元は、調和とか、合致することとかいう意味で使われる。

私と音楽の間にはハーモニーが流れる。
音楽が流すだけではない。
私が聴くからハーモニーが流れる。


というわけで、
今夜の一曲、Suzi Laneの「Harmony」

この曲の歌詞は、まさに私と音楽(と音楽が好きなすべての人)との
ハーモニーのことを歌っている。








Take a walk on the wild side.


おもひでぽろぽろ

20140122113728.jpg



遠い外国にいる友人たちを思う。
元気でやっているかなあ。

私もアメリカに住んでいたことがあるから分かるけど、
アメリカでは、ほとんどの都市は、どんなに小さい道でも名前がついている。
たいてい緑色の標識がついていて、なんちゃらストリートとか
なんちゃらアヴェニューとかね。
だから良いよね、有名でない道でも、自分の好きな道にちゃんと名前がある。

日本では大きな道にしか名前がない。
でもそれはそれで好きだ。自分で名前をつけちゃお。

私が好きな道には何もない。コンビニくらいしかない。
あと寂れたタバコ屋。
でも私にとっては特別な道。
殺風景でなんら魅力的ではないのだろうけど、
私にとっては世界のどんな道よりも綺麗に見えます。
昼は木々と太陽が本当に歌っているように思える。
夜は街灯がキラキラしてロマンチックに思える。
晴れの日も雨の日も雪の日も好き。
でも本当は曇りの日が一番好きかな。
曇りの秋の日。
何度でも行ったり来たりしたい。
私が死んだらそこに骨を撒いてほしい、とまではいかないまでも、
あまりにも思い出があって、精神も肉体もどっぷり浸かってしまった。

私はそこを歩く度、とても幸せ。





それこそ昔、アメリカにいたときにも、とても好きな道があった。
大きな道だけど街の外れにあったから全然有名じゃないところ。
そこは歩道が狭くて、人一人が歩くのがやっとで、
車道は交通が激しくて、真横を車がビュンビュン通るのが
ちょっとヒヤヒヤする場所。
だけど綺麗で、特に紅葉の季節や雪が降る頃は良い。
人通りが少なくて車がうるさいから、いつもそこを通る度、
大声で歌っていた。なんていう道だったかな。
確かワシントンストリートだったかな?ありがちな名前。





わざと歩きにくい方や危険な方を歩いたり、
日陰があってもわざと強い日差しに当たりながら歩いたり。
それが好きなのよ。Take a walk on the wild side.

そんじゃね。



 
 
プロフィール
 
 

Coco Iijima

Author:Coco Iijima
ヒップホップ・アクティヴィスト
1990年 東京生まれ

気になることあったらコメント、
またはメールaaliyahr.kelly2001@gmail.com ください。
大歓迎です。お仕事のご依頼も上記アドレスまで。

 
 
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