been dazed and confused for so long 

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いろんな生き方、その方法


最近めっきり記事更新しなくなってしまった。
楽しみにしてくれている人(がいるなら)ごめんなさい。
コメントやメールがとても嬉しいよ。



唐突だが、私は今子どもが欲しい。
とりあえず、まず一人欲しい。

とはいえ結婚もしてないし、できる相手もいない。
というか結婚には全く興味が湧かない。
子どもを作ってくれる相手もいない。
仮にどうにか作ったとしても、私一人の財産では厳しい。

そこで思ったのが、子どもが欲しい友達を集めてみんなで育てる方法。
現代のちょー貧しい若者だって2-3人集まれば子ども一人くらい
育てられるだろう。子育て・家事・仕事も分担できるから楽だし。
何より子ども自身が、「この親とは合わない」と思っても
他に2人、3人と選択肢があれば、頼れる人もいるだろう。
「友達同士で育てるなんて責任感が持てない」
「友達同士なんて、いつ関係性が変わるか分からない」とか、
批判もされるだろうけど、それは普通の親でも同じだと思う。
「愛し合う男女から生まれる子どもだけが幸せ」
という幻想を私はもう長い間信じていない。
それが本当なら、ゲイは、レズビアンは、Aセク、ノンセクは、
子どもを欲しがってはいけないことになる。

お金がない、相手がいない、セクシャルマイノリティ、
これらが理由で欲しい子どもを諦めるのはもったいない。
こんなに少子化なんだから。





そんなことを考えていた折り観た映画「ハッシュ!」が正にそんな感じだった。
橋口亮輔監督、田辺誠一、高橋和也、片岡礼子主演。

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ペットショップで働く直也。気ままなゲイライフを送りながらも
充足感を得られずにいる。土木研究所で働く勝裕。ゲイであることを隠し、
自分の気持ちをストレートにうち明けられない優柔不断さにうんざりしている。
歯科技工士の朝子。傷つくことを怖れ、人生を諦めたような生活を送っていた。
やがて、付き合い始めた直也と勝裕。平穏な時が流れようとしていたある日、
二人は朝子との偶然の出会いから、その関係が揺らぎ始める。
朝子は勝裕がゲイであることを承知の上で、
「結婚も、お付き合いもいらない、ただ子どもが欲しい」とうち明ける。
allcinema ONLINE





父権的な意識が根強い人々にとったら、ゲイって時点でアウトだろうに、
そこからイカれた女が精子だけ貰って子ども作るって、
こんなに頭のぶっ飛ぶ話はないだろう。
でもこれって、今だったら全然アリだと思うの。
「普通じゃない家族」が認められつつある過程にあると思う。
もちろんまだまだ世間体は厳しいしバッシングもあるだろうけど。
それを16年前、2001年に描いた橋口監督や演じきった役者たちはすごい。

物語のトーンは思ったよりもシリアスだけど、
コメディ要素も沢山あり、気持ちが落ち着いていくのが分かる。
主演の3人がとにかく魅力的で、田辺誠一は安定の優柔不断&気弱感。
高橋和也はこないだ観た「そこのみにて光輝く」に出ていて、
結構ゲスな役で最高だったね。「ハッシュ!」では丁度いい可愛さ
と丁度いいいい加減なゲイ感が好感を持てる。
片岡礼子の男勝りなサバサバ感は、すごく自然で良かった。

橋口監督は、去年の「恋人たち」と「ぐるりのこと」しか
観ていないけど、どちらも生涯ベスト級。早く他も観たい。

家族とか、恋人とか、友達とか、その関係のあるべき姿になれなくて、
型にはまれなくて悩んでいる人に観てほしい。
こういう生き方もあるという希望、そしてあの3人みたいに、
人生にはこんな風に唐突で、楽しい出会いがあるんだという希望がある。





今日はいろいろとあって、街中ではしゃいでる子どもたちを見るだけで
涙が出てきた。あの子達がいつまでも幸せに生きてくれることを願う。
今こころから、子どもが欲しい。


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セッション


Filmarksで観た映画を投稿するとともに、
いつも (何様かと自問しつつ) 点数を付けているんだけど、
極たまにどうしても点が付けられない映画がある。
面白いとかつまらないとか、良いとか悪いとか
好きとか嫌いを超越した映画。

ダウンロード




※ネタバレします



『セッション』は完全に分からない映画だった。
新しい映画のような気がした、けど自分が古い人間というだけかも。
もちろん色んなレビューも解説も、町山vs菊池の論争も読んだ。
だけどやっぱり決着がつかん。
どう感じたらいいのか分からない。
だけどめちゃくちゃ面白かった、放心状態になるほど。


この映画を新しく、そして難しい映画だと思うのは、
従来ならこういう鬼教師は、実はしっかり生徒のことを思っていて、
作戦として厳しくしごき、最後には一流になれるほどに成長させている、
生徒も後でそれに感謝する。といったカタルシスが用意されているもの。
もしくはこの教師を悪として描くなら、最後に鬼教師を貶めるといった
カタルシスが用意されている。
セッションはそのどちらでもない。
色んな人の解説やレビューを読んで辿り着いたことだけど、
「音楽」というものが、そのグルーヴが、情熱が、
善悪を超えたカタルシスになっている。




でもでもー!これでもなんかスッキリしないのはやっぱり私が
古い人間だからなのかって思って落ち込むし、
さらに見終わった直後の感想が「鬼教師許すまじ」だったこととか
ダサいしやんなるー!!

JKシモンズ怖すぎなんだよな。。。
レシストかつセクシスト、暴力、殺人(未遂)、スタバdis、
これは鬼教師とかいう生温い言葉で片付けられるものじゃない。
JKシモンズいつも良い奴役だからそのギャップを狙ったとしか思えん。
これだけモラハラパワハラ、ポリコレ云々言われている中で
こんな凄惨な映像見せられると縮こまっちゃう。
それに対抗する主人公もどうかと思うよ。
( アンドリュー役の俳優、マイルズ・テラー。
ジェニファーローレンスの男版みたいで、
さらに顔をぐしゃっとしたような。こういう顔好きだ。)


だけどだけど普通に考えてみれば当たり前の話ですよねこれ。
鬼教師や鬼上司が、本当は生徒・部下のことを思ってくれているはず、
愛のムチ、なんてこれほど甘い考えは無い。甘ったるすぎて死にそうだ。
そんな教師や上司はほとんど存在せず、腹いせだったり、
自分の弱さや嫉妬から弱者(生徒や部下)を虐めているにすぎない。
フレッチャーだってそうで、自分の完璧主義やコンプレックスから
生徒たちにしていることはほとんど殺人と言って良い。
(椅子投げるあたりは殺人未遂として成立するっしょ)
そしてそういう人格を持つ"指導者"は沢山いる。



音楽に対する溢れんばかりの愛→狂気という構図はクリシェだけど、
それが私が「観たいと思う」映画なのだろう。
セッションでは誰一人、心底音楽を愛しているように思えない。
成功の道具や、虐待の道具、またその虐待に歯向かうための道具にしか
していない。名のある音楽家たちがこぞってこの映画を批判するのも納得。
私も素直にこの映画に"馴染め"なかった。
だけどラストシーンはそれこそ損得を越えた純粋な音楽の表現によって、
それまでの二人の関係なんてどうでもよくなるほど、
音楽の神が降りてくる様を見せている。
だからやっぱり、あのラストのラスト、数分間は、
音楽の崇高さとスピリチュアルを全力で見せつけられている気がして
とても惹き付けられた。

お引越し


おめでとうございます。


51rFdomWfyL.jpg




11歳くらいのときって、心は完全に子どもなんだけど、
身体が少しずつ大人になり始めて、それについていけなくて焦ったりする。
私は「もう自分は大人なんだ」って諦めがつくのが
15歳を過ぎてからだったような気がする。
恥ずかしながら、それまでは生えてくる陰毛が嫌で嫌で、
意地になって剃っていた。15歳くらいになって剃るのをやめた。
今でもあの産毛のような陰毛を初めて発見したときのショックは忘れない。


1993年の相米慎二監督『お引越し』という映画見て、
あの頃の気持ちが、とてもみずみずしく、リアルに思い出された。

小学六年生の漆場レンコは、ある日両親が離婚を前提しての別居に入り
父ケンイチが家を出たため、母ナズナとともに二人暮らしとなった。
最初のうちこそ離婚が実感としてピンとこなかったレンコだったが、
新生活を始めようと契約書を作るナズナや、ケンイチとの間に挟まれ
心がざわついてくる。揺れ動く11歳の少女の気持ちの葛藤と成長を、
周囲の人々との交流を通して描くドラマ。
(wikipedia)







特に主人公が着ている服、持っているぬいぐるみや雑貨が
自分の子どもの頃のものと似ていて、あの頃がよく思い出された。
この映画、最初は主人公とその周りの日常を描いているんだけど、
終盤からどんどん心象風景を反映した描写になってきて、
とってもアヴァンギャルドです。

やべーーこれ絶対哲学のやつじゃんって思ったね。
フロイト?多分フロイト。
両親の別居(ほぼ離婚)という事実は子どもにとって、
それまで当たり前だったもの、自分の手中に収まっていると思っていたものが
実は最初から自分のものではなかったことを思い知らされることだ。
親は自分のためにあり、親の婚姻関係も自分のために未来永劫続くだろうと
思っていたのは大きな勘違いだった。
親はそんな崇高な存在ではなく、別居もすれば離婚もする。
新しい恋人が出来れば子どもを捨てるかもしれない。
子どもはそれを理解しなくてはいけない。



mqdefault.jpg
http://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00008M8BW



この映画で描かれる祭りのシーンがアヴァンギャルドだと言ったけど、
実際の思春期の成長の過程のほうがよっぽどアヴァンギャルドだ。
毎日変化の連続で、心も身体も正気ではいられない。

そのアヴァンギャルドな祭りが終わった後
少女は大人になっている。
お引越すことは大人になることだった。
そして、大人とは何もすごくないんだということを知る。

私は、セックスという行為がどんな雰囲気で行われるかを、
映像だか漫画だかで初めて知ったとき、大人の本性を知ったと思った。
普段あれだけ規律に従い、感情的にならない"立派な"大人達が、
あんな風に我を忘れ恍惚に浸るのが信じられなかった。

そんななか、勉強したり恋したり、好きなことや苦手なこと見つけたり、
人格が形成されていくけど、待ち受ける"大人"は自分が想像していたより
遥かに未熟。それでも生きて、次の世代へと引き継いでいかなければならない。
いつも、未熟なままでは人の親になんてなれないと思っていたけど、
今、私も子どもが欲しいと思いました。


テレキャノ / 紗倉まな


これは「劇場版」というだけあって、やはり劇場で見るべきだった。
一人じゃハードすぎて恥ずかしいけど…。

24943_l.jpg
filmarks.com


ラストシーンはずるいくらい綺麗で、なんか本当の
「ブギーナイツ」を観てるみたいだった。

「劇場版テレクラキャノンボール2013」は、
ハメ撮りを専門とするAV監督・カンパニー松尾と、
他数名の監督たちが東京から札幌へ向かい、各地で
素人女性をどれだけナンパしてセックス (さらにその先まで…)
できるかを競う企画の映像作品。

36660_01_l_convert_20160508201316.jpg
entertainment.rakuten.co.jp

やっていることがくだらなくて馬鹿で、
でもみんなすごく楽しそう。
一部で異様に評価が高く、これこそカルト的な人気って言うんですかね。
でも分かります、ほんとに面白いから。



私も、多分世間も、最近セックスワーカーに対する意識が変わってきて、
ちょっと前まで存在した「彼らは侮辱していい対象」という風潮が
変わりつつあるのを感じます。
いまだに洋画で (最近観た「アデル、ブルーは熱い色」もそうだった)、
誰かを侮辱するときに「売春婦め」みたいな言葉を使うけど、
あれは元の言語からそうなのか翻訳なのか分からないけど、
今時売春婦を見下すとはどういうつもりだろうかと思う。
売春婦がスケープゴートにされている感。

私も未だに、AV女優はじめ、セックスワーカーをどう定義すればいいか分からないけど、
「テレキャノ」での女優と監督たちは対等で仲良しで、楽しそうだった。
作られた雰囲気かもしれないけど、本当に「ブギーナイツ」みたいだったよ。



ウィキペディアにはこんな項目まで。

性風俗産業に対する差別








最近読んだAV女優の紗倉まなのインタビューも面白かった。
「職業に貴賤なし」だけど、それでも胸を張れる仕事ではない。
色々と難しいAV業界を含めた性産業。
それでも日本の性産業の規模とそれがもたらす経済効果は
ものすごいと思うし、きっと世界一?くらいなのでは?
(勝手な想像)

ちなみに紗倉まなちゃんの著書も読みました。
小説の『最低。』と、自伝エッセイの
『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』の2冊。
小説の方はいまいち乗れなかったけど、自伝はとても面白かった。



sakuramana.jpg



紗倉まなや上原亜衣など、新しいAV女優って、
これまであったネガティブなイメージが少ない。
彼女たちの努力でそれが払拭されているのか、
単に私の見方が変わったのか。

自分よりもお姉さん世代のAV女優 (Rio、吉沢明歩、蒼井そらなどなど)は、
いくら本人達がバラエティ番組でタレントのように笑いを取っていたり、
AV女優という職業の地位向上を訴えていてもピンと来なかった。
結局その番組も、そういう発言や態度も含め、正直引いてたなあ。
でも今のAV女優ってそうじゃない。
やらされている感が決して無く堂々としている。
けれどそれがエロさを掻き消しているわけでもない。

私は、これまでもずっと、AV女優含め、セックスワーカーに
対する自らの偏見を払拭しようとはしてきたけど、なかなか難しく、
いつも複雑な気持ちでいっぱいだった。


紗倉まなや上原亜衣の登場でようやく、
その偏見から解き放たれた気がします。
そして、長い歴史のなかで、セックスワーカーというだけで
虐げられてきた全ての人たちの魂を救ってあげるのも
あの子達なのかも、と思って、涙が出てきました。






下のリンク、約一年前に書いた投稿だけれど、ジョン・タトゥーロ監督の
ジゴロ・イン・ニューヨークという映画も、
私のセックスワーカーに対する見方を大きく変えてくれた映画です。
ぜひ観てみてください。

『サンドラの週末』にみる労働と人間


ネタバレします

sandoranosyumatsu_convert_20160412173659.jpg
www.amazon.co.jp


ダルデンヌ兄弟監督、マリオン・コティヤール主演の
映画『サンドラの週末』を観ました。
ダルデンヌ兄弟の映画は、静かで単調で、
結末もはっきり示されないことが多く、
難解な映画というイメージがありますが、
『サンドラの週末』はめずらしく分かりやすい話の展開で、
結末もはっきりとしている作品でした。

疑問 (というか謎) に思うポイントは多かったけど、
同時に労働のあり方、さらには人間のあり方まで考えさせられる、
やっぱダルデンヌ兄弟すげえってなりました。





あらすじ:(Wilipedia)
体調を崩し、休職していたサンドラ。
回復し、復職する予定であったがある金曜日、突然解雇を告げられる。
解雇を免れる方法は、同僚16人のうち過半数が自らのボーナスを
放棄することに賛成すること。 ボーナスか、サンドラか、
翌週の月曜日の投票に向けて、サンドラが家族に支えられながら、
週末の二日間、同僚たちにボーナスを諦めてもらうよう、説得しに回る。



deux-jours-une-nuit_convert_20160412175812.jpg
www.moviestillsdb.com



フランス(ベルギー?)の細かな経済状況はよく分からないけど、
映画が始まってすぐに見て取れるのは、サンドラとその夫は低所得者であり、
サンドラの同僚も低所得者。サンドラは鬱病を患い、それがやっと治り
復職しようとしているのにリストラされる、社会的弱者です。

最初に、そもそも観る前から引っかかっていたのは、
こんな、パワハラどころじゃない人権侵害的な投票ってまかり通るものなの?
という点。いくら被雇用者とはいえ、こんなことさせて苦しませてる会社が
あるって、フランス(ベルギー?)やばくない?
日本だったら、こんなことが起きたらまず労働局に相談するなり、
法に訴えられる可能性があるなら弁護士に相談するなり、
味方となってくれそうな人や機関に助けを求めたりするよね…。
今なんかだとリアルな話、SNSでその話が拡散されれば
一気にパワハラだブラックだ、つってその会社は吊るし上げられるだろう。
(それで会社が潰れたら困るのも被雇用者なんだけど)
サンドラや同僚たちが厳しい選択に迫られ苦しんでいるのに、
誰一人そういう提案をしないから、きっとそういう手段も
絶たれているんでしょう。

しかも、こんな酷いことしておいて社長や主任の偉そうな態度…
「なかなかやるな」じゃねーよゲームじゃねえんだよ…!
コンプライアンスっていう概念は無いのかよ…


この辺の描写には本当にビックリさせられました。
この国には労働者が何かに困ったときに助けを求める
場所も術も無いのでしょうか。
そして悲しくとも驚くのは、こんな思いをさせられてまで
その職にしがみつかなくてはいけない状況があるということ。
ヨーロッパも日本同様、職の奪い合いが激しく、もっと言えば、
移民政策などにより、日本よりも過酷な状況にあるのかもしれません。
「そんな酷い会社すぐに辞めて他の仕事探せばいいのに」と
思っていたけど、それもほぼ不可能な厳しい状況なのでしょう。

あと、結婚してるなら別にそんなに焦る必要も無くない?
とも思うけど、前述の通りサンドラたちは低所得者。
少し前まで、公営住宅 (描かれ方から、かなり劣悪な環境の住宅だと思われる)
に住んでいて、やっと今人間らしい生活が出来ている様子。
日本では共働きか、仕事を辞めて専業主婦(夫)やるか選択できる場合も多いけど、
サンドラたちの場合は、サンドラの職が無い=路頭に迷い兼ねないこと。
「働きたい、やりがいを見つけたい」なんていう贅沢な理由での
職へのしがみつきでは決して無い。

「ボーナス」という響きから、なんとなく「オマケの給料」
というイメージがあったから、ボーナスくらいみんなで諦めてあげれば
いいじゃんって思ってたけど大間違いでした。
それぞれみんな生活が苦しくて、ボーナスが無ければ生活が困窮する、
もしくはすでに困窮しているからボーナスが無いといよいよ終わり
という状況の人もいる。みんな自分だけでなく、家族、子ども、
守らなくてはならない生活があるから苦渋の決断を迫られます。
サンドラの説得もうまくいかないはずです。

説得に行った先で同僚とその家族が殴り合いの喧嘩をしたり、
冷たくあしらわれたり、居留守を使われたり、
心が折れそうになってゆくサンドラ。
精神安定剤と思われる薬をオーバードーズしたり、
やけになって夫に離婚を切り出したり、事態は悪化していきます。




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lanuitartificielle.wordpress.com



だけど、そんな絶望的な状況の中でもサンドラは、
人間としての様々な美しい行動や生き方に出会います。
当初サンドラよりもボーナスを選ぼうとしたことを恥じて涙する同僚。
サンドラを選ぶことを夫に反対され、ついには離婚してサンドラに投票する同僚。
自分が危うい立場に置かれるリスクを背負ってもサンドラを助けようとする同僚。

自分が過去に与えた優しさが今に繋がることを知ったり、
離婚した同僚の力になることで新たな友情が生まれたり、
どん底の中でも幸せなこと、楽しいことが生まれるのを知ります。




結果的に投票は過半数に至らず、サンドラは職を失います。
社長から、「投票では勝てなかったけど、サンドラの代わりに
臨時社員をクビにするから復職していい」と言い渡されますが、
あの時自分を救おうとしてくれた同僚を救うため、
サンドラは自分を犠牲にします。サンドラとその家族はしばらくは、
もしかしたら永遠に困窮するかもしれないけど、
最後の決断で、人間としての威厳は失わずに済んだ。

結果としては、当初最も恐れていた「失業」なのに、サンドラの顔は晴れやか。
それは週末の間、一生懸命頑張ったことで自信を持ち、
人間捨てたもんじゃないと思える他人の行いのおかげで
優しい気持ちにもなっている。未来への希望と意欲もある。

弱者が弱者なりに戦い、他の弱者をかばう。
あまりにもスケールが小さい話だけれど、
世界が180度変わるような感慨がありました。









Marion-Cotillard-a-Cannes-pour-Deux-jours-une-nuit_convert_20160412181051.jpg
www.elle.fr

兄弟からキスを受けるマリオン・コティヤール!
なんとうらやましい。







いつも映画を観た後は、Yahoo映画のレビューをチェックするけど、
共感というか、私の感じたことを代弁してくれるようなレビューが
あったので引用します。


被雇用者=弱者どうしで争わせ、自らの強欲さから目を反らせる
雇用者=強者という、全世界の縮図なのだが、
そういう視点はやはり日本にはないらしい。
そういう視点がなければ、この映画が退屈なのは当然だろう。
あとこの主人公の行動を身勝手と断じるレビューが多いのもびっくりした。
終身雇用が保証され、それを誰の犠牲も無い自分だけの手柄と
信じ切れる人なのだろうか。どちらにしても想像力の欠如がすごい。
また、よくある、辛いのは主人公だけじゃないのにとい意見。
それなら世界で一番辛い人しか自己主張しちゃいけないのか?
しかも、この主人公は、最後は自己犠牲により他者を助けた。
つまり、この主人公が一番大事にしてるのは、
当面のお金以上に人間の尊厳なのだ。




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www.cinechronicle.com

左、歯ぐきかわいい


deux-jours-une-nuit+(1)_convert_20160412181836.jpg
www.myfrenchfilmfestival.com

流行のGジャンを早速取り入れる兄弟
 
 
プロフィール
 
 

Coco Iijima

Author:Coco Iijima
ヒップホップ・アクティヴィスト
1990年 東京生まれ

気になることあったらコメント、
またはメールaaliyahr.kelly2001@gmail.com ください。
大歓迎です。お仕事のご依頼も上記アドレスまで。

 
 
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