been dazed and confused for so long 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    --:-- | Top

La La Land


大好きなララランドが最近まわりでことごとく
ディスられてて悲しいから擁護する。
今まで1000本以上の映画を観てきたが、
ララランドは奇跡のように大好きな映画だから。


ダウンロード


もともとミュージカル映画はあまり好きではない。
よく分からないタイミングで歌って踊りだすし、
それが表現として成り立ってるのか疑問が残る場合が多い。
でも、ミュージカル映画がなぜ作られたかという原点に戻ると、
(私の勝手な決めごとだが) 恋におちて天にも昇るような気持ちになることや、
嬉しくて踊りだしたくなる気持ちを実際に表現しようとしたことにある。
悲しみや怒りを表現することもあれば、現実のそれから逃れるために歌い踊る
こともある。ミュージカル仕立てにする理由があるミュージカル映画は好きなんだ。

ララランドは完璧にその理由に忠実だから、ミュージカル映画苦手な私が
史上最高点であろう17億点をつけることができた。
(だから実際ミュージカルシーンは意外に少なく、
ミュージカル好きにとってはがっかりかも)




screen-shot-2017-01-18-at-12-34-40-pm.png


ララランドはこれでもかというくらい綺麗でロマンチックなシーンや映像が
盛り沢山で、普通に考えたらやりすぎじゃないか?と思うくらい。
でもそれは恋をしてる二人の心の中を描いているから決しておかしくないし、
やりすぎでもない。だって誰だって好きな人とキスしたらこういう情景を心の中に描くから。
(私がロマンチストすぎ??)

『巴里のアメリカ人』、『雨に唄えば』、『ロシュフォールの恋人たち』、
『ニューヨークニューヨーク』などなど、往年の名作たちへのオマージュで
作られた映画だけど、すべてがオマージュ越え。
全てにおいて元ネタよりもレベルが高いと思う。
ここまでハイレベルなものを見せてもらえるだけで億がつきます。









ララランド批判でよくあるのが、主役二人に好感を持てないというもの。
二人ともとことん自己中心的で周りのことなど顧みない。
セバスチャンは最初からルードで雇われた店のムードは台無しにするし、
すぐに他人に悪態をつくし、普通に出会ったら最低な奴で終わるだろう。
ミアは女優志望のくせに『理由なき反抗』も観たことがない。
結局ミーハーで、(これはミアの実家のシーンでよく分かるけど)
華やかな映画界と女優に憧れているだけの頭の中ララランドな女の子。
彼氏を捨ててセバスチャンのもとへ走るシーンとか美しいけど
最低だと私も思いますよ(笑)

でもそんなことどうでもよくないですか??
映画ってそもそも完全無欠の善人が活躍するものではないし、
こんなにダメな二人だからこそリアルなのに。

セバスチャンの不本意な仕事に対する態度の悪さは
確かに最低です。不本意でもやることやるのがプロですから。
レストランやパーティーのピアノ弾きなんてただのバイトだから
と見下すのは、それを生業としてやってる人が観たら憤慨ですよ。
でもこの部分に関しては終盤小さなウェディングパーティーで
セバスチャンがピアノを弾き、客から拍手が聴こえるシーンで
落とし前がついてると思うんですよ。
なんとなく弾いてるように見えるけど、結構気持ち良さそうに弾いて、
それがオーディエンスにも良いグルーヴとして自然に伝わった。
不本意な仕事でもこういうこともあるんだと。
これはララランドの一つの名シーンだと思います。








ミアの自己中ミーハーっぷりは、ラストの独白で一掃される。
それまでオーディションに落ち続けても気丈に見えたミアが
実は、やはりものすごく傷ついていて、それでも燃えたぎる情熱があって、
ここまで続けてきたんだという強い意思に泣ける。
歌詞が本当に素晴らしくて私はとっくに完コピ。
ミアの表情のひとつひとつに心打たれて、最後泣いちゃう。
この歴史に残るオーディションシーンは本当にエマストーンがその場で
歌って一発撮りしたらしい。こんな近くで顔撮られるとかすごい。








他にもラストシーンが切なすぎるという批判があるけど、
あれこそが醍醐味だからさ、、辛いのは分かるけど許してやってよ。
セバスチャンの店のシーン、あんなに心の芯が震えて、
でも優しい気持ちで泣いたのは初めて。
最後の二人の微笑み合い、あの頃一緒にいた二人と、
今別々の人生を歩む二人を肯定する微笑み合い。





もちろん忘れてはいけない冒頭の群舞シーン。




まあ観れば一発で分かるけど、これだけでもう完成された一つの作品だし、
すぐさま鼓舞させられ、感動させられる。
デミアンチャゼルの手腕というか、強引さ。
歌詞の素晴らしさも言うまでもない。
「LAは夢を追い人が沢山いて、例え夢破れても、毎日新しい日が昇る」
LAは毎日晴れだから、オーディションに落ちまくってどんなに落ち込んでいても
皮肉なくらいにLAは快晴だ、ということを作詞家もインタビューで応えていた。
曲の終わりと共にタイトルがバーンって出るもかっこ良すぎ。





A Lovely Nightもコミカル兼ロマンチックで語彙力失う。



こういう、男女が恋に落ちる瞬間のようなダンスシーンはやまほどあるけど、
Lovely Nightは曲も振り付けも完璧。完コピしたい〜〜
色彩も美しく、日の入りの限られた時間で撮った逸話もすごい。





映画はファンタジーだし、特にララランドは非常にファンタスティックだけど、
実際の人間が作り演じ配給した現実の映画だ。映画の内容は確かに作り物だけど、
これに関わった何千人、何万人?もの人がいるのは現実だ。
だから映画は現実だ、ファンタジーなんだけど、リアル。
そして、たまにこういう素晴らしい映画に出会うと、生きていて良かったと思う。
こういう映画を作ろうとした人たちがいたという事実だけでも幸せ。
だから私は人生の多くの時間を映画に費やす。


スポンサーサイト

ラビットホール


『ラビットホール』は、2010年ジョン・キャメロン・ミッチェルの映画。
『ヘドウィグ&ザアングリーインチ』や、『ショートバス』や、
最近では未見だけど『パーティで女の子に話しかけるには』を監督した人。


220px-Rabbit_Hole_Poster.jpg




あらすじ(wikipedia)
ニューヨーク郊外の閑静な住宅街に暮らす、妻ベッカと夫ハウイー。
彼らの幸せな生活が一変したのは8か月前。
一人息子ダニーが道路に飛び出し交通事故に遭い、
わずか4歳でこの世を去ってしまったのだ。
それ以来、2人の心には埋めようのない喪失感が生まれていた。
前に進もうとするハウイーとは対照的に、
心乱れるベッカは周囲にも辛く当たり散らす。
そんなある日、彼女は息子を轢いた高校生ジェイソンを
偶然見かけ思わず尾行してしまう…





大切な存在を失ってどうしようもなくなって
宗教に救いを求めるのは定番パターン。
イ・チャンドンの『シークレットサンシャイン』では
宗教の矛盾と不完全さが描かれている。
『ラビットホール』では、宗教にすがれない主人公が、
どうやってその後を生きていくかが描かれる。
結局ただ悲しみに暮れ、泣きはらし、時が過ぎるのを待つしかない。
心を切り裂くような痛みに耐えて、それが治まるのを待つしかない。
どんな映画を観ても思うし当たり前すぎて普段言いもしないけど、
俳優ってやはりすごい。ニコール・キッドマンすごい。

劇中、ニコールキッドマンの母親が言う台詞に救われる。
コピーにもなってるから引用しちゃうけど

I guess. At some point, it becomes bearable. It turns into something that you can crawl out from under and... carry around like a brick in your pocket. And you... you even forget it, for a while. But then you reach in for whatever reason and - there it is. Oh right, that. Which could be awful - not all the time. It's kinda... not that you'd like it exactly, but it's what you've got instead of your son. So, you carry it around. And uh... it doesn't go away. Which is fine actually

目の前に立ちはだかる巨大な石が、やがてポケットの中の小石に変わる。
しばらく忘れることもできるけど、手を入れるとやはりそこにある。





私も去年、最愛の猫を亡くして、やはり悲しみに暮れていた。
8ヶ月の子猫で、FIPという不治の病だった。
どうしてこんなに悲しく、苦しいことが自分たちに降り掛かるんだと
不思議に思った。私も、あの子も、何も悪いことしてないのに。
病気になる前も何かと身体が弱く、問題が沢山あった子で、
飼育はとても大変だった。

でも、こんな辛い思いをするなら最初からあの子を飼わない方が
良かったかと考えると、そんなことは決してない。
飼う前に時間を戻せるとして、悲しい結末が待っていることが分かっていても、
それでも私たちはもう一度あの子を選ぶと思う。他の子でなく。
結局人間も動物もそれぞれの個性が違うから唯一無二。
あの子を差し置いて他の子を選ぶなんてことは出来ない。
あの子と、あの子と過ごした時間の代わりはない。

失うことは辛いけど、
じゃあ最初から出会わなければ良かったかと言えばそうではない。
だからその後はひたすら工夫して生きる。

ペットロスを乗り越える工夫はネット上でもいろいろ目にする。
ペットは虹の橋を渡り、天国で飼い主を待っている。とか。
そういう本をペット葬儀屋さんに勧められたけど読めなかった。
他には、(それこそ上記の劇中の台詞も同じことを言ってる)
失うことで感じる悲しみも空虚も、ペットがもたらしたものだと考えれば
一生背負っていけるというもの。
痛みを抱えながら生きることが、その子と共存することになるから。
私はそう考えながら一生生きていく。



いろんな生き方、その方法


最近めっきり記事更新しなくなってしまった。
楽しみにしてくれている人(がいるなら)ごめんなさい。
コメントやメールがとても嬉しいよ。



唐突だが、私は今子どもが欲しい。
とりあえず、まず一人欲しい。

とはいえ結婚もしてないし、できる相手もいない。
というか結婚には全く興味が湧かない。
子どもを作ってくれる相手もいない。
仮にどうにか作ったとしても、私一人の財産では厳しい。

そこで思ったのが、子どもが欲しい友達を集めてみんなで育てる方法。
現代のちょー貧しい若者だって2-3人集まれば子ども一人くらい
育てられるだろう。子育て・家事・仕事も分担できるから楽だし。
何より子ども自身が、「この親とは合わない」と思っても
他に2人、3人と選択肢があれば、頼れる人もいるだろう。
「友達同士で育てるなんて責任感が持てない」
「友達同士なんて、いつ関係性が変わるか分からない」とか、
批判もされるだろうけど、それは普通の親でも同じだと思う。
「愛し合う男女から生まれる子どもだけが幸せ」
という幻想を私はもう長い間信じていない。
それが本当なら、ゲイは、レズビアンは、Aセク、ノンセクは、
子どもを欲しがってはいけないことになる。

お金がない、相手がいない、セクシャルマイノリティ、
これらが理由で欲しい子どもを諦めるのはもったいない。
こんなに少子化なんだから。





そんなことを考えていた折り観た映画「ハッシュ!」が正にそんな感じだった。
橋口亮輔監督、田辺誠一、高橋和也、片岡礼子主演。

news_header_hashiguchi_ryousuke_20151102_04_convert_20170129131927.jpg



ペットショップで働く直也。気ままなゲイライフを送りながらも
充足感を得られずにいる。土木研究所で働く勝裕。ゲイであることを隠し、
自分の気持ちをストレートにうち明けられない優柔不断さにうんざりしている。
歯科技工士の朝子。傷つくことを怖れ、人生を諦めたような生活を送っていた。
やがて、付き合い始めた直也と勝裕。平穏な時が流れようとしていたある日、
二人は朝子との偶然の出会いから、その関係が揺らぎ始める。
朝子は勝裕がゲイであることを承知の上で、
「結婚も、お付き合いもいらない、ただ子どもが欲しい」とうち明ける。
allcinema ONLINE





父権的な意識が根強い人々にとったら、ゲイって時点でアウトだろうに、
そこからイカれた女が精子だけ貰って子ども作るって、
こんなに頭のぶっ飛ぶ話はないだろう。
でもこれって、今だったら全然アリだと思うの。
「普通じゃない家族」が認められつつある過程にあると思う。
もちろんまだまだ世間体は厳しいしバッシングもあるだろうけど。
それを16年前、2001年に描いた橋口監督や演じきった役者たちはすごい。

物語のトーンは思ったよりもシリアスだけど、
コメディ要素も沢山あり、気持ちが落ち着いていくのが分かる。
主演の3人がとにかく魅力的で、田辺誠一は安定の優柔不断&気弱感。
高橋和也はこないだ観た「そこのみにて光輝く」に出ていて、
結構ゲスな役で最高だったね。「ハッシュ!」では丁度いい可愛さ
と丁度いいいい加減なゲイ感が好感を持てる。
片岡礼子の男勝りなサバサバ感は、すごく自然で良かった。

橋口監督は、去年の「恋人たち」と「ぐるりのこと」しか
観ていないけど、どちらも生涯ベスト級。早く他も観たい。

家族とか、恋人とか、友達とか、その関係のあるべき姿になれなくて、
型にはまれなくて悩んでいる人に観てほしい。
こういう生き方もあるという希望、そしてあの3人みたいに、
人生にはこんな風に唐突で、楽しい出会いがあるんだという希望がある。





今日はいろいろとあって、街中ではしゃいでる子どもたちを見るだけで
涙が出てきた。あの子達がいつまでも幸せに生きてくれることを願う。
今こころから、子どもが欲しい。


セッション


Filmarksで観た映画を投稿するとともに、
いつも (何様かと自問しつつ) 点数を付けているんだけど、
極たまにどうしても点が付けられない映画がある。
面白いとかつまらないとか、良いとか悪いとか
好きとか嫌いを超越した映画。

ダウンロード




※ネタバレします



『セッション』は完全に分からない映画だった。
新しい映画のような気がした、けど自分が古い人間というだけかも。
もちろん色んなレビューも解説も、町山vs菊池の論争も読んだ。
だけどやっぱり決着がつかん。
どう感じたらいいのか分からない。
だけどめちゃくちゃ面白かった、放心状態になるほど。


この映画を新しく、そして難しい映画だと思うのは、
従来ならこういう鬼教師は、実はしっかり生徒のことを思っていて、
作戦として厳しくしごき、最後には一流になれるほどに成長させている、
生徒も後でそれに感謝する。といったカタルシスが用意されているもの。
もしくはこの教師を悪として描くなら、最後に鬼教師を貶めるといった
カタルシスが用意されている。
セッションはそのどちらでもない。
色んな人の解説やレビューを読んで辿り着いたことだけど、
「音楽」というものが、そのグルーヴが、情熱が、
善悪を超えたカタルシスになっている。




でもでもー!これでもなんかスッキリしないのはやっぱり私が
古い人間だからなのかって思って落ち込むし、
さらに見終わった直後の感想が「鬼教師許すまじ」だったこととか
ダサいしやんなるー!!

JKシモンズ怖すぎなんだよな。。。
レシストかつセクシスト、暴力、殺人(未遂)、スタバdis、
これは鬼教師とかいう生温い言葉で片付けられるものじゃない。
JKシモンズいつも良い奴役だからそのギャップを狙ったとしか思えん。
これだけモラハラパワハラ、ポリコレ云々言われている中で
こんな凄惨な映像見せられると縮こまっちゃう。
それに対抗する主人公もどうかと思うよ。
( アンドリュー役の俳優、マイルズ・テラー。
ジェニファーローレンスの男版みたいで、
さらに顔をぐしゃっとしたような。こういう顔好きだ。)


だけどだけど普通に考えてみれば当たり前の話ですよねこれ。
鬼教師や鬼上司が、本当は生徒・部下のことを思ってくれているはず、
愛のムチ、なんてこれほど甘い考えは無い。甘ったるすぎて死にそうだ。
そんな教師や上司はほとんど存在せず、腹いせだったり、
自分の弱さや嫉妬から弱者(生徒や部下)を虐めているにすぎない。
フレッチャーだってそうで、自分の完璧主義やコンプレックスから
生徒たちにしていることはほとんど殺人と言って良い。
(椅子投げるあたりは殺人未遂として成立するっしょ)
そしてそういう人格を持つ"指導者"は沢山いる。



音楽に対する溢れんばかりの愛→狂気という構図はクリシェだけど、
それが私が「観たいと思う」映画なのだろう。
セッションでは誰一人、心底音楽を愛しているように思えない。
成功の道具や、虐待の道具、またその虐待に歯向かうための道具にしか
していない。名のある音楽家たちがこぞってこの映画を批判するのも納得。
私も素直にこの映画に"馴染め"なかった。
だけどラストシーンはそれこそ損得を越えた純粋な音楽の表現によって、
それまでの二人の関係なんてどうでもよくなるほど、
音楽の神が降りてくる様を見せている。
だからやっぱり、あのラストのラスト、数分間は、
音楽の崇高さとスピリチュアルを全力で見せつけられている気がして
とても惹き付けられた。

お引越し


おめでとうございます。


51rFdomWfyL.jpg




11歳くらいのときって、心は完全に子どもなんだけど、
身体が少しずつ大人になり始めて、それについていけなくて焦ったりする。
私は「もう自分は大人なんだ」って諦めがつくのが
15歳を過ぎてからだったような気がする。
恥ずかしながら、それまでは生えてくる陰毛が嫌で嫌で、
意地になって剃っていた。15歳くらいになって剃るのをやめた。
今でもあの産毛のような陰毛を初めて発見したときのショックは忘れない。


1993年の相米慎二監督『お引越し』という映画見て、
あの頃の気持ちが、とてもみずみずしく、リアルに思い出された。

小学六年生の漆場レンコは、ある日両親が離婚を前提しての別居に入り
父ケンイチが家を出たため、母ナズナとともに二人暮らしとなった。
最初のうちこそ離婚が実感としてピンとこなかったレンコだったが、
新生活を始めようと契約書を作るナズナや、ケンイチとの間に挟まれ
心がざわついてくる。揺れ動く11歳の少女の気持ちの葛藤と成長を、
周囲の人々との交流を通して描くドラマ。
(wikipedia)







特に主人公が着ている服、持っているぬいぐるみや雑貨が
自分の子どもの頃のものと似ていて、あの頃がよく思い出された。
この映画、最初は主人公とその周りの日常を描いているんだけど、
終盤からどんどん心象風景を反映した描写になってきて、
とってもアヴァンギャルドです。

やべーーこれ絶対哲学のやつじゃんって思ったね。
フロイト?多分フロイト。
両親の別居(ほぼ離婚)という事実は子どもにとって、
それまで当たり前だったもの、自分の手中に収まっていると思っていたものが
実は最初から自分のものではなかったことを思い知らされることだ。
親は自分のためにあり、親の婚姻関係も自分のために未来永劫続くだろうと
思っていたのは大きな勘違いだった。
親はそんな崇高な存在ではなく、別居もすれば離婚もする。
新しい恋人が出来れば子どもを捨てるかもしれない。
子どもはそれを理解しなくてはいけない。



mqdefault.jpg
http://tsutaya.tsite.jp/item/movie/PTA00008M8BW



この映画で描かれる祭りのシーンがアヴァンギャルドだと言ったけど、
実際の思春期の成長の過程のほうがよっぽどアヴァンギャルドだ。
毎日変化の連続で、心も身体も正気ではいられない。

そのアヴァンギャルドな祭りが終わった後
少女は大人になっている。
お引越すことは大人になることだった。
そして、大人とは何もすごくないんだということを知る。

私は、セックスという行為がどんな雰囲気で行われるかを、
映像だか漫画だかで初めて知ったとき、大人の本性を知ったと思った。
普段あれだけ規律に従い、感情的にならない"立派な"大人達が、
あんな風に我を忘れ恍惚に浸るのが信じられなかった。

そんななか、勉強したり恋したり、好きなことや苦手なこと見つけたり、
人格が形成されていくけど、待ち受ける"大人"は自分が想像していたより
遥かに未熟。それでも生きて、次の世代へと引き継いでいかなければならない。
いつも、未熟なままでは人の親になんてなれないと思っていたけど、
今、私も子どもが欲しいと思いました。


 
 
プロフィール
 
 

Django

Author:Django

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
最新トラックバック
 
 
 
 
月別アーカイブ
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
RSSリンクの表示
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
 
 
QRコード
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。